事の発端は兄弟の争い、信三郎氏が4代目の社長を務めていた一澤帆布工業は、創業100年を超える老舗で、手作りで丈夫なかばんで全国にファンを獲得していました。ところが12月16日、社長解任という事件が起こります。ことは2001年、先代信夫氏の遺言書を巡る裁判に端を発します。弁護士が預かっていた1997年12月12日付けの遺言書には、20年以上経営に携わってきた三男の信三郎社長と恵美夫人に約3分の2の株を所有させる旨の記載がありましたが、数カ月後、当時銀行員だった長男の信太郎氏が、2000年3月9日付けの第2の遺言書を持って現れる。そこには、信三郎氏ではなく、信太郎氏と四男・喜久夫氏に約3分の2の株を持たせる内容が記されていたのです。どう見ても、信太郎の裏工作が
あったのではないかと思わせるのだが、無残にも、04年12月には最高裁で敗訴が確定、一年後の12月16日に信太郎氏は信三郎氏を解任し、自らが社長に就任したのです。ここまで育てた信太郎さんを解任するとはなんという卑怯な事をするか?
しかしこれは塞翁が馬、これからドラマがはじまる。捨てる神があれば拾う神がある。
山田住職を会長に「一澤信三郎さんを応援する会」が発足する。その活動の第一歩は新聞に意見広告を出すことだった。 そこで世間の知られる問題となりはじめる。なんと70人の職人と社員の全員が信三郎氏とともに一澤帆布を離れたんです。素材の納入業者も、信太郎氏の会社とは取引しないことを表明、人も作業道具も材料もなくなった一澤帆布は、やむなく休業に至る。信三郎氏と旧一澤帆布の社員たちは、急ピッチで新ブランド一澤信三郎帆布を立ち上げる。こんな人たちの作ったかばんを使いませんか。きっと毎日が楽しくなりますよ。
あったのではないかと思わせるのだが、無残にも、04年12月には最高裁で敗訴が確定、一年後の12月16日に信太郎氏は信三郎氏を解任し、自らが社長に就任したのです。ここまで育てた信太郎さんを解任するとはなんという卑怯な事をするか?
しかしこれは塞翁が馬、これからドラマがはじまる。捨てる神があれば拾う神がある。
山田住職を会長に「一澤信三郎さんを応援する会」が発足する。その活動の第一歩は新聞に意見広告を出すことだった。 そこで世間の知られる問題となりはじめる。なんと70人の職人と社員の全員が信三郎氏とともに一澤帆布を離れたんです。素材の納入業者も、信太郎氏の会社とは取引しないことを表明、人も作業道具も材料もなくなった一澤帆布は、やむなく休業に至る。信三郎氏と旧一澤帆布の社員たちは、急ピッチで新ブランド一澤信三郎帆布を立ち上げる。こんな人たちの作ったかばんを使いませんか。きっと毎日が楽しくなりますよ。
この記事のトラックバックURL
http://shinzaburobug.blog116.fc2.com/tb.php/9-0828e370
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
情報の蔵からとっておきの情報をご提供します!一澤 帆布 カタログ一澤 帆布 カタログ.(続きを読む)旅行誌るるぶに於ける一澤帆布店の取り扱い方そこで、信三郎氏が、一澤帆布店の斜向かいに『一澤信三郎帆布』を新規にオープン
2007/09/27(木) 09:00:50 | 情報の蔵



